映画とドーナツ

映画「リメンバー・ミー」の感想メモ

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レビューとまではいかない映画の感想メモ。今日もドーナツを食べながら。
今回は「リメンバー・ミー」。ディズニー / ピクサー 19本目の長編映画で原題は「Coco」。

邦題も良いけど原題も素敵。どちらも物語のキーになっていて、鑑賞後にその深い意味が読めてくる感じ。

泣けると話題だったのでどうだろうと思いながら観たのだけど、そりゃもう泣いてしまった。死をテーマにした作品に弱いのです……。

リメンバー・ミー世界の死ってなに?

作中の死の考え方は、舞台となっているメキシコ特有のものなのかもしれないけど、日本のそれと近いように思う。

ちょうど日本の“お盆”とハロウィンを足したような“死者の日”の祝祭。死者の魂が現世に戻ってくるとされるこの日に、家族どうしで故人への思いを明るく語らう。

また、作中では一度目の死と二度目の死が描かれている。

一度目の死は肉体の死。そして、二度目の死は、現世の人たちの記憶から無くなってしまった時に訪れる存在したこと自体の死。

人間は一度目の死を迎えると「死者の国」で暮らすことになるが、それも永遠ではなく、現世で誰からも忘れられてしまうと死者の国からも消えてしまうのだ。

現世の人々の記憶に残り、死者の日に祭壇へ写真を飾ってもらうことで、死者は自分の祖先に会いに行くことができる。
故人を忘れなければ、見えなくともその存在を確かに感じられるのだ。

それがリメンバー・ミー世界の死に対する考え方。

家族は鎖、だけど……

死後もなお記憶でつながる家族。それは鎖のように主人公を縛り付けることになる。

主人公のリヴェラ一族には「音楽禁止の掟」がある。
家族を捨て、音楽家になる夢を追いかけて二度と帰ることのなかった主人公のひいひいおじいちゃん。彼を忘れるためにこの掟が作られた。

そのために主人公は歌ったり楽器を演奏することができない。本当は音楽が大好きで、ギターを自作してしまうくらいの情熱があるのに。

しかし、その鎖が主人公の道標にもなる。死者の国に誘い、ひいひいおじいちゃんと出会わせ、家族のつながりを鎖よりも強くした。

血の繋がりとか家族とか、そういった強すぎる絆は鬱陶しくもあるけれど、良し悪しはあるにしろ生きる力につながる。

今のぼくも、家族を尊敬したり、反面教師にしたりしてできあがった人格。

ああはあなるまいとか、ああいう風に生きたっていいのかもとか、そういう時に思い浮かぶ人間は両親だったり祖父母だったりするよなと思った。

家族が全てではないけど、確実に自分を作ってるものなのかもなあ。

一番の仕返しは忘れてやること

大切な思い出は忘れてはいけない。なぜなら二度目の死が訪れるから。

でも、嫌な思い出は忘れてしまおう。記憶から消えれば二度と蘇ることはないから。それが一番の仕返しなのかもしれない。

ぼくも嫌なことがあったら積極的に忘れるようにしている。

心の安定を保つために、自分勝手にならない程度に嫌なことを無かったことにするのって良いですよ。もちろん嫌だけど大事なことだってあるから、それはそれでちゃんと取っておかないといけないけど……。

自分にとって特別なことは忘れない。特別な人を忘れない。

先日祖母を亡くしたので、余計に強くそう思った。

かぼちゃのドーナツ食べたい

かぼちゃのドーナツ

カラフルでハロウィンっぽいからパンプキンドーナツ食べたくなった。写真は一昨年ミスドで売られてたやつ。ポン・デ・リングのかぼちゃ。おいしそう。

しかし、ミスド以外のドーナツ屋さんってどこも大変よね。ミスドも大変かもだけど。お店どんどん無くなってる気がする。悲しい……。忘れないよ、ブルースタードーナツ……!