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映画とドーナツ

マネー・ショート 華麗なる大逆転レビュー

投稿時間2016.07.15シェア数4

ぼくはミステリー小説が好きだ。
物語の展開や結末を予測しながら、それを裏切るようなストーリーに心を奪われる。

作中で起こる殺人事件の犯人はもちろん、次に殺されるキャラクターやその理由を推理するのも楽しい。
仕掛けが難解であれば、それだけ的中した時の達成感もひとしおだ。
これは読者としてまっとうな楽しみ方だと思う。

作品中で示された証拠を元に、物語の主人公とともに真相を明らかにするカタルシスは格別だ。

しかし、楽しむ一方でとても残酷なことをしているような気がして、少し怖くなる時があった。

ぼくは小説を読みながら、架空の出来事とはいえ、誰かの死を願っていた。
その死をもって自らを推測を正しかったと証明し勝者と認定していたのだ。

これってなんだかとっても恐ろしい。娯楽ってそういうものなのだろうけど。にしても、怖い。

映画「マネー・ショート 華麗なる大逆転」を観て、久しぶりにそんな嫌な気持ちをを思い出した。

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」とは

あらすじ

2005年、金融トレーダーのマイケルは、返済の見込みの少ない住宅ローンを含む金融商品が、数年以内にデフォルトに陥る可能性がある事に気付き、ウォール街を出し抜く事を画策する。一方、銀行家ジャレットは、マイケルの戦略を察知。ヘッジファンド・マネージャーであるマークを説得して CDS に大金を投じるよう勧める。 同じ頃、この事態に目をつけた若き投資家の二人は、伝説の銀行家で変人のベンに協力を要請。ベンは自らのコネクションを使い、二人の計画を後押しすることになるが……。

これ、詳しくない人にとってはわけわかんないと思う。安心して下さい、ぼくも分かってないですよ!

正当性の主張とマネーゲームの影

あらすじのとおり、専門的な言葉が多いため、非常にとっつきづらい印象の作品。/p>

ただ、監督がコメディ作品を多く手掛けるアダム・マッケイということもあって、テンポが良く、中盤にかけて妙に高揚感があった。

音楽も素晴らしい。アラサー世代ドンピシャな楽曲と作品のテンポが相まって観客を映画のスピード感に巻き込んでいく。

と同時に、難解な専門用語なども分かりやすい例えで直感的に教えてくれる。ぼくは理解力が足らずよく分からなかったけど……。

それでも何が起きたのかは伝わってきた。とにかく大勢の人が傷つき、主人公たちは金を手に入れ、一部の悪人が最悪の事態から逃げ切ったのだ。

前半の高揚感とは裏腹に、中盤から後半にかけては虚しく悲しい印象だった。

主人公たちは、サブプライムローンが債務不履行になることが分かり、大災害から逃れるため行動を起こす。それが原因で家を失う人が居るこを知ったうえで、問題の根本を解決できないまま、金を動かし、事態の異常さを訴える

もちろんそれはそれで決して悪いことではないのだけれど、大金が手に入るからといって手を叩いて喜べるようなものでもない。ブラッド・ピット演じるベンがラスベガスで放つ「やめろ、喜ぶな。俺たちが勝てば、同時に失業者や家を失う者が増える。決して喜ぶな」という台詞で気付かされる。正当性の主張とマネーゲームの影には、職や家を失った罪もない普通の人たちがたくさん居たはずなのだ。

もちろん、主人公たち(ジャレド・ベネット以外)はそれぞれ葛藤している。ラストで笑っているのは、純粋に金だけが目的だったジャレドだけだった。そこに勝者は居ない。あるのは結果だけ。

精神的にスッキリとしない、結果だけを容赦無く突きつけるラストに、この物語が現実と地続きであることを気付かされる。マネーゲームは終わっていないのだ。

この“虚しさ”と“高揚感”のコントラストが、作品の醍醐味であり魅力なんじゃないかなと思う。

原作はノンフィクション。ぼくも読んでみようかな……。難しいかな……。

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勝者の定義

最初に少しだけ触れたけど、自分が得するためだったり、正当性を他人に認めさせるために、全く無関係の誰かの不幸を願ってしまうことってあると思う。

例えば、歩きスマホについて、それが危険だと主張する人と安全だと主張人が居たとする。
危険だと主張する人が自己の正当性だけを追い求めると、主張の証明として“歩きスマホをする人が危険な目に遭うこと”を願うことになる(場合がある)。

もちろん主張することが悪いわけではないのだけれど、声高に叫ぶ前にやれることがあるんじゃないかなとも思う。

また、それぞれの主張を汲んでバランスがとれるような環境も必要なのではないかなとも考えられる。

とにかく、本質が別のところにあるのだとしたらエゴイスティックになってはいけないということだ。